京都は洛北、岩倉の地にある「岩倉具視幽棲旧宅」。
歴史好き、幕末ファンにはおなじみ、岩倉具視が王政復古を画策したと言われる屋敷。
まー普通の京都観光客は来ないでしょう。
だって、岩倉具視ってあんまりいい印象ないでしょう?
なんか裏で糸引いてた、フィクサー的な感じ。あと顔もどう見ても悪役顔なんだよなー。
「歴史上の人物で誰が好き?」と聞いて、
「俺、岩倉具視!」って即答する人会ったことないし。
もう歴史が好きで、一周どころか、5周も6周もしてその答えになったんだろうなと思ってしまう。
もっと言えば、岩倉具視自体、知らない人のほうが多いんじゃないでしょうか。
岩倉具視はもともと公武合体派(天皇と幕府が合体して皇国の繁栄を願う)。
が、そのやりとりの中で幕府と仲良くしてたので、佐幕派とみなされ、尊王攘夷派から狙われる。
で、「お前、京都の中に住んじゃダメな!」と言われてやってきたのが岩倉村。
ちなみに岩倉具視の「岩倉」はもともとの姓。奇遇ですね。
別に「岩倉村の具視さん」じゃない。
で、5年も岩倉村でただただ生きてた。その間、禁門の変とか、大政奉還もあってちょっと情勢変わってくる。
そしたら、「岩倉、あいつ今ごろ何考えてるかな?」ってことになって薩摩藩やら坂本龍馬らが会いに来る。
で、「鳥羽伏見の戦い」勃発! この頃にはすっかり尊皇派の岩倉。
薩長軍が負け気味と知ると、なんと菊の紋章の旗(=官軍)を勝手に作っちゃいます!
これを見た幕府軍は「うそーん。オレら賊軍じゃん。。」となって一気に戦意喪失。
斯くして、薩長軍勝利。新政府樹立。
その後、外務省官僚となった岩倉は、欧州視察やら、征韓論を突っぱねたり政治家として活躍する。
ってのがだいたいの人生。
で、なんで人気ないかというと、やっぱり途中で思想変えたり、勝手に旗作ったり、
自分はあんまり表舞台出て来なかったりで、なんか胡散臭いってところかなー。
いや、けっこう新政府のために尽力したし、もうちょっとリスペクトされてもいいと思うのだが。。
と、前置きが相当長くなってしまったが、行ってきました「岩倉具視幽棲旧家」。
白壁が美しいお屋敷。幽棲と言ってもさすが公家、十分な広さ。
入り口。幽棲とは、世俗を離れて暮らす、的な意味。
入り口を入るとすぐに岩倉具視お手植えの松が。
ありがたいようなそうでもないような。。
こちらは維新志士たちの書を集めた図書館。洋館がかっこいい。中にも入れます。
はい。こちらが岩倉具視の屋敷。なかなか広い。立派。
幽棲とはいえ、これだけ立派な家は現代では羨ましい。
お庭も広いじゃないですかー。
この縁側に座って、王政復古の案を画策してたんだろうか。。
向こうの門からひょいっと坂本龍馬が訪れたりしたんだろうか。
こちらは剃髪の碑。岩倉具視と言えば明治維新後もチョンマゲがトレードマーク。
が、アメリカ視察の時、息子に「親父、いい加減超ダサいから」と言われて泣く泣く切ったそうです。
正門を見る。いや現代なら大邸宅っすよ。
西郷どんも大久保利通もこの門をくぐってきたんだろうか。
「まま、どうぞ中へ」って感じで招き入れたんでしょうなー。
こんな平和な田舎で、キナ臭い政治の話が繰り広げられてたんだろうな。
つーか広い。夏休みはこんなおじいちゃん家で過ごしたい。
中庭もあるんですよ。作り込みが甘い感じがさすがに京都を離れた感じがする。
うーん畳の上に大の字になって天井を見上げながら、国を憂いつつ、昼寝したい。
ていうか、何部屋あるのよ。こんなに襖いらないんじゃない。
歴史ファンからあまり脚光を浴びない岩倉具視。
幽棲場所もなんだか物静かな感じでした。
行き方は叡山電鉄の岩倉駅から徒歩だと20分ぐらい。散歩がてらもいいけど、
国際会館から出てる「実相院行き」のバスが一番アクセスいいでしょう。
岩倉具視幽棲旧家
京都市左京区岩倉上蔵町100
午前9時~午後5時(入場は午後4時半まで)
木曜休み