京都三条会商店街の東西のちょうど真ん中ぐらいにある「武信稲荷神社」。
京都にはちょいちょい、坂本龍馬ゆかりの地がありますが、
ここを知ってる人は相当の坂本龍馬ファンと言って間違いなしです。
京都で坂本龍馬を感じる有名な場所としては、
伏見の「寺田屋」、東山の「霊山護国神社」、河原町の「近江屋跡地」、
「酢屋」、「土佐藩跡地」、「岬神社」、
さらには最期の日、鶏肉を買いに行かせた「とり新」あたりでしょうか。
京都で坂本龍馬の足跡をたどる、「我こそは、坂本龍馬の大ファンぜよ!」
という方は絶対にこの「武信稲荷神社」外せないでしょう。
と、偉そう言ってますが、実は当方もこの「武信稲荷神社」を知ったのは偶然。
京都三条会商店街をブラブラしていたら、偶然見つけました。
JR「二条駅」東西線「二条城前駅」から徒歩20分ぐらい。
というのも、子供が突然、トイレ行きたい!と言い出して、この神社の境内に入って行ったから笑。
ありがたいことに、神社の方がトイレを貸してくれました。やさしい。
その間、「武信稲荷神社」の歴史などを読んでいたら、「え! 坂本龍馬来てたの!?」となったのでした。
境内はとてもきれい。地元の方々に大切にされているのがよくわかります。
夏祭りなんかもあったりで、かなり町内との交流がある感じです。
サイズ感といい、なんだか愛着がわく神社です。
平安時代初期の859年に建てられたそうです。
そしてこちらの神社、なんと「一寸法師」ゆかりの神社でもあります。
一寸法師は武士になるため、京都にやってくる。
住み込みで奉公するのが「京は三条の大臣殿」の屋敷。
三条の大臣殿とは西三条大臣のことで、なんとこの神社を創祀した人。
で、この大臣殿の屋敷はこの場所にあった。
京都にいると、ほんとこういう話をよく聞く。
本当にあった場所、人が物語に登場するから、じゃー一寸法師も本当にいたの?ってなっちゃう。
しかも、確か一寸法師はお姫様のお供で清水寺に行く途中、鬼に食べられ、
お腹の中でチクチク針の剣を刺して、退治するって話。
ちょいちょい現実の話が入ってくるんだよなー。わけわからなくなる。
万城目学の小説みたいなもんかな。
で、こちらの神社、
一寸法師が退治した際、鬼が打ち出の小槌を落として行ったことから、金運にご利益があったり、
小さき体ながら、最後は打ち出の小槌で体を大きくし、お姫様と結婚したことから、
開運、立身出世、恋愛運など、もう一寸法師の話にかこつけて、現実世界にご利益があるように繋げてます。
うーん商売上手。まーぶっちゃけ、京都全体がこの手法です笑。
さて、坂本龍馬と武信稲荷神社の話。
下記、神社の看板に書いてあったことをだいたいの意訳で書いていきます。
神社の南に六角獄舎という牢獄がありました。
幕末、そこには勤王の志士がたくさん収容されていました。
その中に坂本龍馬の妻おりょうの父もいました。
龍馬とおりょうも何度か面会に訪れるも、龍馬自身も追われる身、面会は叶わず、この大木の上から様子を見ていたという。
その後、龍馬は身を隠すようになり、おりょうとも会えなくなる。
おりょうは龍馬を心配していたが、ふと、武信稲荷神社を思い出し、行ってみると、
この榎の木に龍馬の字で「龍」と書かれていた。
自分はまだ生きてるよ、京都にいるよ、というメッセージを得たおりょうは、
二人の共通の知人を訪ね、再び会えたそうです。
榎は「縁の木」とも呼ばれ、御神木の榎に宿る弁財天を祀る末社の「宮姫社」は縁結びの神。
おりょうと龍馬もそんな縁結びのご利益をいただいた二人だ。
だそうです。
さすが坂本龍馬。恋愛もドラマティックですねー。
というか、恋愛もフィーチャーされるあたり、人気者ですね。
というわけで、早速マネタイズです笑。
とはいえ、全体的には控えめで好感が持てます。
龍馬が言う! 龍馬おみくじ!!
どうやら、おみくじの内容が土佐弁で書いたあるようです。
ま、まあ控えめなのかな。。
御神木の枯れ落ちた枝をチェーンソーアーティストの城所ケイジさんが龍のアートを制作。
が、城所さん曰く、すでにそこに龍が存在していた、とのこと。神秘的です。
と、龍馬の珍しい恋愛エピソードを感じられる武信稲荷神社。
龍馬ファンは外せない京都穴場スポットです。
武信稲荷神社
京都市中京区今新在家西町38
TEL : 075-841-3023 / FAX : 075-496-9955