京都観光とグルメのブログ

京都【八大神社】宮本武蔵が一乗下がり松の決戦の前に開悟した神社。




京都で宮本武蔵ゆかりの地と言えば「一乗下り松」。

慶長9年(1604年)、吉岡一門との決闘の場。

吉岡英治の「宮本武蔵」、

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司馬遼太郎の「宮本武蔵」に登場する有名スポット。

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「一条下り松の決闘」の前に一悶着ある。

宮本武蔵、二十一歳の時、京にのぼる。

そこに代々将軍指南役、吉岡家が開いている「室町兵法所」があった。

名をあげたい武蔵は、三条大橋のそばの高札に決闘を申し込み、公示した。

吉岡家当主、吉岡清十郎と蓮台野で決闘し、一撃のもとに勝利。

さらに、仇討ちに来た、弟、吉岡伝七郎も返り討ちにし絶命させる。

残った吉岡一門は、この上は武蔵を討取るしかない、と

100人内外の門徒たちが槍組、弓組、薙刀、鉄砲隊まで組織。

さきの当主、清十郎の息子でまだ幼童である又七郎を

仇討ち名目人、総大将として決闘に向かう。

「場所は洛北一乗下り松」と吉岡一門が指定。

「時刻は早朝」と武蔵が指定。

100人対1人。

まだ日が明ける前から吉岡一門が到着。

一乗下り松の根元に床几を置き、又七郎が座った。

「どうせ武蔵はわざと遅れて我々をいらだたせる戦法だろう」と

考えていたが、吉岡一門は、それでも警戒のため、一乗下がり松から各持ち場に散って行った。

その時である。ぬっと巨体が一乗下がり松の下から現れた。

武蔵は吉岡一門が来る前から、ずっとそこにいた。

あっという間に総大将の首を刎ねると、その場にいた数人を切りつけ、

山の中へ走り、逃げて行った。

もうこれで、勝ち=宮本武蔵 負け=吉岡一門である。

総大将の首を刎ねられたのだから。

兵法というより武略に長けてる人だなー。

と、このあたりの記述は司馬遼太郎の「宮本武蔵」に詳しい。

で、司馬遼太郎の「宮本武蔵」や吉岡英治の「宮本武蔵」など、

あらゆる書物に載っている、その決闘に向かう途中に行った神社があります。

それが「八大神社」。

決戦の朝、必勝祈願をしようと寄ったものの、ハッとひらめき、

我、神仏を尊ぶも、頼まず! 思い直して勝った、というもの。

というワケで、その足取りを追ってみましょう。

叡山電鉄「一乗寺」駅下車で歩くこと5分で「一乗下がり松」へ。

「バカボンド」で見たこのあたりは、野原って感じでしたが、今はもう住宅街です。

さすがに400年経ってますからね。

平安時代から、近江、比叡山から京都へ来る際の目印とされ、現在の松は四代目。

さらに上り坂を登って行くと「八大神社」があります。

叡山電鉄「一乗寺」駅から徒歩10分ぐらい。

この辺りは、隣に「詩仙堂」ちょっと行くと「圓光寺」など観光的見所がたくさん点在。

昔から宮本武蔵関連の映画もたくさん作られていたんですね。

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境内は意外と小さい。が、とてもきれいにしてあって落ち着く。

人もほとんどいません。貸切状態。

かなり雅な神社。すっきりとしてます。

宮本武蔵の銅像もあり。宮本武蔵と言えば二刀流ですね。

宮本武蔵もほとんどの決闘は20代までで、30代になってからはその名声は確立されており、

わざわざ戦うことはなかったそうです。

うーんセルフプロデュースに長けてる。剣術もすごいけど、やっぱり頭がいい人な気がする。

「オレはいいけど武蔵はどうかな?」

的な宮本武蔵というブランドを生前からしっかり考えていたんでしょうね。

 

八大神社
京都市左京区一乗寺松原町1番地
075-781-9076

京都市左京区一乗寺松原町1


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