京都は歴史が長いだけあって、嘘か誠が心霊スポット的な場所が多い。
恋愛のパワースポット、なんて言われてる貴船神社だって、
昔は五寸釘で丑三つ時に藁人形を打ち付けるスポットだし、
深泥池沿いの道は口裂け女発祥の場所だし、
鴨川沿いだって、いろんな武将、幕末の志士が晒し首になっているわけで。。。
もうどこで出たって不思議じゃない。
むしろ幽霊、怨霊的には日本一、いや世界一出てきてもおかしくない都市です。
そんな中、トップクラスで恐れられているのが早良親王こと、崇道天皇です。
もう国家レベルで恐れられています。
叡山電鉄は「三宅八幡駅」下車徒歩8分。
「崇道神社」は八瀬へ向かう道の途中にひっそりと佇んでおります。
神社の前の看板を読むと、いかに恐れられていたかがわかります。
「奈良末期〜平安初期の皇族、早良親王を祀る。
早良親王は光仁天皇、高野新笠の子で、桓武天皇の実弟。
延暦四年に起こった藤原種継暗殺事件の首謀者として逮捕される。
乙訓寺に幽閉された後、淡路島に流される途中、無実を主張して絶食死した」
「その後、桓武天皇の近親者の死が続き、京に悪疫が流行したため、
相良親王の祟りと噂され、その怨霊を鎮めるために延暦19年には崇道天皇と追号を贈り、
墓を現在の八島陵へ改装した。
他に、藤森神社、上御霊神社にも崇道天皇が祀られているが、
崇道天皇のみを祭神としているのは、この崇道神社だけである」
すさまじい。祟りを恐れて京都市内に3つも神社があるとは、そのすごさが伝わります。
境内はこんな感じ。これが夜だったらヤバすぎます。
参拝者は日曜のお昼で自分のほかに一人。
一人でも誰かお参りしてくれてホッとしました。
と、本殿の横を見るとなんとなく聞いたことのある人の名前が書いてある。
遣唐使として名高い、小野妹子の息子さんのお墓があったようです。
なんとこのあたり、高野は小野氏ゆかりの地で、古くから栄えていたそうです。
しかも国宝が出ちゃいました!! 看板を読んでみましょう。
小野毛人墓
「天武朝の官僚であった小野毛人は、最初の遣隋使小野妹子の子で、
天武6年(677年)に没したとされる。
慶長18年(1613年)、崇道神社境内の上高野一帯を見渡す山腹の墓から
鋳銅製の墓誌が発見され、この墓が小野毛人を埋葬したものであることが明らかになった。
大正3年(1914年)、墓誌は国宝に指定され、現在京都国立博物館に保管されている。
墓は、大正3年に調査され、その結果、板石で作られた石室は長さ約2.5メートル、
幅及び高さ共に約1メートル、当初は封土が施されていたものとみられる。
この墓は、市内に残る奈良時代前期の数少ない遺跡であり、
当時の墓制を知る上でも貴重なものであることから、
昭和59年6月1日京都市指定史跡に指定された」
とのこと。とにかく安らかに眠っていただくことを祈るばかりです。
崇道神社(すどうじんじゃ)
京都府京都市左京区上高野西明寺山町34
075-722-1486
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