「方広寺」。名前だけ聞いてもピンと来ないと思いますが、豊臣家が滅びるきっかけとなった、
家康がいちゃもんつけた鐘のあるお寺と言えばピンと来る人もいるでしょう。
鐘に書かれた文字中に「国家安康」「君臣豊楽」と書かれてることを見つけた家康サイドが、
「家と康が分断されて不吉、豊臣氏を天下の君主とするという意味があるのでは」とぶーぶー言い出し、
まさかの大坂の陣を引き起こすきっかけとなった鐘があるお寺です。
ま、それでも戦国ファン、歴史ファン限定なんですけど笑。
方広寺への行き方は七条駅から徒歩8分くらい。
このあたりは戦国ファンにはたまらないエリア。
まず方広寺の隣は豊国神社。豊臣秀吉を祀っている神社です。
そしてこの道は正面通り。そう、大仏の正面にある道だからです!
耳塚も近くにあります。恐ろしい名前です。
秀吉の文禄、慶長の役で武功の証拠として日本側の武将が朝鮮側の武将の耳を切り取りました。
その戦死者を弔ったもの。晩年の秀吉は本当に残酷になってしまった。。
その非道さを伝える意味でも耳塚という名前でいいのかもしれない。
さて戻ってそのお目当ての鐘を見てみましょう。
この鐘、マジででかいです。これほど巨大だったとは。そりゃもう豊臣家がいかに財があったかがわかります。
日本三大名鐘の一つです。さもありなん。ちなみに他は東大寺と知恩院の鐘。
確かにどっちもでかいわ。
ものすごく打ち鳴らしなくなりますが、さすがにダメなようです。
これ突いたら京都中に鐘の音が響きわたりそう。
うおおーーー!! あるね!!
ご丁寧に白く塗ってあり、さらに白く囲ってある笑。
教科書レベルの事件だけに感動もひとしお。
家族で来たら相当我が家つまんなそうにしてただろうなー。
それを見越して本日、京都一人旅です。
さらに駐車場を超えて東へ進んでみましょう。
住宅街の中にありがちな小さな公園。ではないんです!!
もうお分かりかと思いますが、こちら「大仏殿跡緑地」。
そう、秀吉が建てた大仏があった場所です。
松永久秀が奈良の東大寺の大仏を焼き払ったことを憂い、かつて秀吉が京都に建てた大仏がありました。
それがこの場所。秀吉の息子、秀頼がもう一回建てたところ、家康との鐘事件が起きたわけです。
その後、天保年間に建てた大仏は昭和まであったのですが、これまた焼失。
ほんと京都大仏は災難続きで、ついには緑地に。もはや夢の跡です。
こういう側から見たら、なんでもない場所で戦国ファン、歴史ファンは「ほわ〜」となってしまうのです。
うーん興味ない人から見たら怪しい人物だよな笑。
方広寺
京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2