大学生のころ、京都の友人がちょくちょく持っていた赤いタグになにやら漢字が書いてある布製のバッグ。
ん?またそのタグのバッグ。なんなのそれ?と聞いたところ、京都の有名なバッグで一澤帆布だと言う。
ふーん。てか帆布? 帆布ってなに? と思ったけど、とりあえず聞き流した。
それから、なんとなく生きてると、あ、またあのタグのバッグだ。と思うことがしばしばあった。
なんかちょっと意識高めで、ナチュラル系の人が持ってるバックだなーという印象が強かった。
それからさらに時を経て京都に移住することに。
祇園を適当に歩いていると懐かしいタグが貼られているお店を発見。あーここかー。
職人さんが工房で作る老舗のバッグ屋さんかと思ったらけっこう新しい感じ。
が、調べてみるとやっぱり1905年創業のめっちゃ老舗で、その後相続争いで骨肉の争いがあったりで、
そりゃーもう大変な時期を経ての現在でした。
のれんは鞄と書いてるのかと思いきや、よくみると「布」ヘンに「包」。
「うちのは布で包むから、鞄はこの字や」と言ってるんでしょう。
これは一澤信三郎さんの字でしょうか。
で、あれ?赤いタグもあるけど、信三郎帆布?なんかいろいろある? よくわからん。
「一澤信三郎帆布」への行き方は祇園四条駅から四条通りを東へ、八坂神社にぶつかったら北へで10分くらいです。
店内は活気あり。老若男女誰でも使えるデザインが愛されてる感じです。
若干、女性が多いかな。なんとなく無印良品とか好きな人が好きそうな世界観です。
ところで帆布とは、もともと帆船、つまり船の帆の生地として作った布のこと。
なのでとても丈夫、というわけです。
一澤家の初代はクリーニング屋さんなどをやっていたようですが、
二代目が牛乳屋さんや大工さんなどの職人用の鞄屋を創業、三代目は登山用のバッグ、リュックサックなど手を広げ、
ファッション誌に取り上げられて人気となる。と急成長。
そして四代目のタイミングで相続争いが! いろいろあって、なるほどタグがいろいろある理由がわかりました笑。
まーざっくり言うと、四代目の信三郎さんが相続争いで(先代の遺言書、疑惑の2通目が出てややこしくなる!)、
一回会社を退任させられる。
その間、信三郎さんが「一澤帆布製」の職人さんを全員引き連れて別の会社を設立。
ご贔屓にしていたお客さんたちが一澤信三郎を支援する会を発足する。
裁判に勝ち「一澤帆布製」に凱旋、社長に返り咲く。
就任したあと、同じ場所で「一澤信三郎帆布」を開店。
「一澤帆布製」を含む3ブランドで再スタート、という流れです。
いやースティーブ・ジョブズみたいだ。吉田カバンとハーヴェスト? 何れにせよ映画になりえる。
信三郎さんが一澤帆布を退任した時、同志社小学校はランドセルを一澤帆布に依頼してたのを辞め、
信三郎さんにお願いしたそうです。信三郎さんを支持する会には、大徳寺のお坊さんや、
京都を代表する名旅館俵屋の女将など、錚々たるメンバーだったようです。
うーん信三郎さんの人望すごい。
なので、実はちょっと思った「あれ?一澤信三郎帆布?一澤帆布製かと思ったけどニセモノ?」と思ったのは、
大きな間違いで、本家本流、正統な流れです。ここ重要。
ちょっと人のお家の内部事情を言うのは気がひけるけど、ここをちゃんと言いたかったので許してください。
自分のようにそう思っちゃった人、いると思うので。
これが帆布です。ギッチリしてて確かに丈夫そうです。
色もシブい。京都らしい染色技術もいい。
これこれ。やっぱりトートバックが一番有名でしょう。
これはちょっと大きめサイズでガンガン使っても良さげで、使い勝手いいだろうな。
京都土産としてもいい。
これもいい。2泊くらいの旅行に使えそう。
あとラジコンとか入れられそう笑。
ちょっとしたものを入れるのを便利。
買っとこうかなー。どうしようかなー。
どれも使い勝手よさそうですなー。
一個くらい持っておくと便利そう、と思わせる雰囲気がすごい。
バック界のジーンズですね。
ゴールドラッシュに行く人に向けて丈夫な服を、とドイツ人のリーバイ・ストラウスが考案したジーンズ。
どちらも働く人に向けて作った歴史があるので、なんか似てくるんでしょうね。
一澤信三郎帆布
京都市東山区東大路通古門前上ル高畑町602
075-541-0436
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