京都は洛北の大寺院「大徳寺」。後醍醐天皇の庇護があった時は、京都の寺院の格を表す「京都五山」では上位、
が、足利尊氏が政権を執ると、五山から外され、その下の十刹では下位とされました。
そこで、もはや自分から「外れる!」と言った大徳寺。
ちょっと権力に対して反抗的な雰囲気を感じるお寺です。
そんな雰囲気からでしょうか、権力と微妙なバランスを取る戦後時代当時、
いわばクラブ活動的な「茶の湯」がこの地で発展したのはなんとなく合点がいくのです。
応仁の乱で荒れ果てた大徳寺をかの一休宗純が再興したのですが、
その一休が千利休の師匠、村田珠光と親交があったのも大きいですが。
境内を歩くと、歴史ファン、特に戦国時代ファンは小躍りしたくなる名前や場所があちこちに。
こちらの三門はもう。。戦国ファンならおなじみ、千利休が自刃するきっかけとなる事件があった三門です。
この三門の上層部を千利休が寄進。感謝の印として大徳寺はこの上層部に千利休の木造を設置。
するとこの下を通る豊臣秀吉は、「利休の足の下をくぐるのか」と激怒。
もういちゃもん笑。という気もしなくもないですが、とにかくあらゆる歴史ドラマで描かれるシーンがここに!
という感じで歴史ファンは感慨ものです。
こちらは織田信長のお墓。
秀吉が織田信長の葬儀をしたのはここ大徳寺です。
本能寺の変で遺体が出なかったので、木像を作り1体を焼き、1体ここに安置しています。
こちらは石田三成のお墓がある三玄院。
古田織部好みの茶室「篁庵」があります。
ほかにも千利休の門人、細川忠興が建立した高桐院や、大友宗麟が建立した瑞峯院など、
戦後時代武将、文人たちとゆかりのあるお寺がたくさん。
もう歴史ファンは正直忙しいです笑。
こっちも! あっちも!となってしまい、正直全部見ようとすると一日かかってしまいそうです。
もはや歴史ファンにとってのメトロポリタン美術館です。
唐門を筆頭に国宝もすごい数ですし。
もっとも、期間限定で入れる塔頭が多いので、全部見て回れるわけでもないですが。
と、歴史ファンが鼻息荒くしてる間、もしお連れさんがいたらひくだろうなと思いつつ、
この大徳寺、散歩道としてもめちゃくちゃ気持ちいい。
松の木がこんもりと生い茂って、夏もちょっと涼しいし、冬の朝はひんやりと澄んだ空気が気持ちいい。
さらには、時代劇の町の通りのシーンでもよく使われるほど、歴史情緒あり。
ただ歩くだけでも楽しい、いいとこです。
京都市北区紫野大徳寺町53
075-491-0019
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