歴史好き、戦国時代ファンが小躍りする名刹、京都「大徳寺」はもはや歴史博物館です。





京都は洛北の大寺院「大徳寺」。後醍醐天皇の庇護があった時は、京都の寺院の格を表す「京都五山」では上位、

が、足利尊氏が政権を執ると、五山から外され、その下の十刹では下位とされました。

そこで、もはや自分から「外れる!」と言った大徳寺。

ちょっと権力に対して反抗的な雰囲気を感じるお寺です。

大徳寺9

そんな雰囲気からでしょうか、権力と微妙なバランスを取る戦後時代当時、

いわばクラブ活動的な「茶の湯」がこの地で発展したのはなんとなく合点がいくのです。

応仁の乱で荒れ果てた大徳寺をかの一休宗純が再興したのですが、

その一休が千利休の師匠、村田珠光と親交があったのも大きいですが。

大徳寺10

境内を歩くと、歴史ファン、特に戦国時代ファンは小躍りしたくなる名前や場所があちこちに。

こちらの三門はもう。。戦国ファンならおなじみ、千利休が自刃するきっかけとなる事件があった三門です。

この三門の上層部を千利休が寄進。感謝の印として大徳寺はこの上層部に千利休の木造を設置。

するとこの下を通る豊臣秀吉は、「利休の足の下をくぐるのか」と激怒。

もういちゃもん笑。という気もしなくもないですが、とにかくあらゆる歴史ドラマで描かれるシーンがここに!

という感じで歴史ファンは感慨ものです。

大徳寺3

こちらは織田信長のお墓。

秀吉が織田信長の葬儀をしたのはここ大徳寺です。

本能寺の変で遺体が出なかったので、木像を作り1体を焼き、1体ここに安置しています。

大徳寺5

こちらは石田三成のお墓がある三玄院。

古田織部好みの茶室「篁庵」があります。

大徳寺2

ほかにも千利休の門人、細川忠興が建立した高桐院や、大友宗麟が建立した瑞峯院など、

戦後時代武将、文人たちとゆかりのあるお寺がたくさん。

もう歴史ファンは正直忙しいです笑。

こっちも! あっちも!となってしまい、正直全部見ようとすると一日かかってしまいそうです。

もはや歴史ファンにとってのメトロポリタン美術館です。

唐門を筆頭に国宝もすごい数ですし。

もっとも、期間限定で入れる塔頭が多いので、全部見て回れるわけでもないですが。

大徳寺4

と、歴史ファンが鼻息荒くしてる間、もしお連れさんがいたらひくだろうなと思いつつ、

この大徳寺、散歩道としてもめちゃくちゃ気持ちいい。

松の木がこんもりと生い茂って、夏もちょっと涼しいし、冬の朝はひんやりと澄んだ空気が気持ちいい。

さらには、時代劇の町の通りのシーンでもよく使われるほど、歴史情緒あり。

ただ歩くだけでも楽しい、いいとこです。

 

大徳寺
京都市北区紫野大徳寺町53
075-491-0019


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