初夏の京都は青葉の名所へ!「東福寺」【その6】偃月橋
東福寺シリーズも5回目、最後は東福寺三名橋のひとつ、「偃月橋」。
「偃月橋」を渡ったところが鹿児島藩の藩主、島津家の畿内の菩提寺だそうです。ふーんそうなんだ。
「偃月橋」正面。ちなみに偃月とは半月よりやや細い月だそう。微妙な言い回しだな。
三名橋の中で一番小さい。こじんまりした感じがまたいい。人もほとんど来ない。
でも、橋に使われている木が妙に滑らかで気持ちいい。三名橋のうち、ここが一番落ち着く。
島津家のプライベート空間、といった感じです。
すごい虫の喰い方です。ディグダグみたい。
偃月橋から下を見る。川にも整然と石が埋められてて、ここも格子模様的な?
さて、これにて東福寺終了! 帰りますか。
ところ変わって東福寺から駅までの帰り道。戊辰戦争はこのあたりすごかったんだろうな。
東福寺は戊辰戦争のとき、長州藩の陣が置かれていたとのこと。
で、ここは「退耕庵」。なんとここで、安国寺恵瓊、石田三成、宇喜多秀家が関ヶ原の戦いの謀議したって
言うんだからスゴい。さらに、この案には小野小町に寄せられた艶書(ラブレター)が集められた地蔵があったりで、
三時代のエピソードがあったりして、凄すぎてよくわからない感じになってる。
中に入れるのもここまで。小野小町の艶書が詰まった地蔵は見ることができます。
2メートルぐらいある超デカい地蔵です。が、そこは写真NG。
こんなデカい地蔵の中にビッシリラブレター入ってんのかーと思うとちょっとコワイ。
東福寺
京都市東山区本町15丁目778番地
京都市東山区本町15丁目778番地