京都の応仁の乱の勃発地は超街中でした!「御霊神社(上御霊神社)」
京都は上京区、鞍馬口駅から徒歩3分のところにひっそりと佇むのが「上御霊神社」。
「上御霊」は「下御霊神社」に対する名前で、本来は「御霊神社」と言います。
京都で最古の祭りと言われる「御霊祭」は「下御霊神社」がメインのため、こっちはひっそりしてるなー。
ちなみに「御霊祭」は平安京を作った桓武天皇の弟、早良親王が謀反の疑いをかけられ、
島流しの途中で亡くなり、その時に京の街に疫病が流行ったりで、早良親王の祟りだと言われ、
その霊を鎮めるために行われるようになったお祭り。
早良親王は崇道天皇とも呼ばれ、こちらの祭神は崇道天皇です。
上御霊神社が歴史的に注目を集めた事件に、応仁の乱の前哨戦、「御霊合戦」の場となったことがある。
1466年、文正二年に山名宗全らの支援を受けて、畠山義就が大軍を率いて上洛。
家督争いをしていた畠山政長は、ここ、上御霊神社に陣を敷き、迎え撃つ構え。
戦いで政長は破れ、細川勝元を頼ったため、山名宗全VS細川勝元の応仁の乱へと発展していく。
そんな歴史的重みを感じながら、拝観すれば強者どもが夢の跡的なロマンを感じられます。
ひっそりと、と言えども四脚門も立派。さすが京都の歴史ある神社です。
伏見城の四脚門を移築したと伝えられているそうです。
それにしても、ここに陣を敷くなんてすごいですね。
京都のど真ん中ですよ。そりゃー京都中が戦場になりますわ。
武門の信仰も厚く、室町幕府、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康らの寄進もあったそうです。
堂々たる本殿。うーんそれにしても誰も人がいないなー。
心落ち着けるにはいいとこです。
強者どもが夢の跡、気分で境内を散策してたら、なんと松尾芭蕉、来てたんですね。
ここでの句は「半日は 神を友にや 年忘れ」。
意味は、半日も神社で句会を開いていると、まるで神様と友達のような気分になってきて、
年忘れになるくらい楽しいなー、みたいな感じでしょうか。
「御霊合戦」の石碑も建てられていました。こちらはまだ新しいですね。
「上杉本洛中洛外図屏風」にも「上御霊神社」は描かれているそうです。
昔はこの辺りは森だったみたいですね。
ちょっと街中からは外れてたってことで、陣を敷いたんでしょうね。
昔はまだまだ京の街って小さかったんだなー。
政権争い、武士の台頭、俳句など、いろいろなジャンルで興味深い神社です。
現在、5月をのぞく毎月18日にやってる「ごりょうさんのさえずり市」も気になる。
思わぬ掘り出し物があるやも、です。
御霊神社(上御霊神社)
京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495
075-441-2260
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